2025/06/21
livedoor Newsに取り上げられました。
Webページより抜粋
ゴミ処理業者の息子が泣いた同級生の「心ない言葉」母親が誓った偏見との闘い
ゴミ処理業を切り盛りして
痛感したゴミ業界への偏見
1970(昭和45)年に起ち上げた大和清掃は順調に売上を伸ばし、3年後には大和興業と名前を変えた(編集部注/筆者の夫が社長に就き、筆者は専務として会社の経理を握った)。夫・清文が亡くなった2008(平成20)年以降も、大和エネルフの名で事業を継続し、今日に至っている(編集部注/現在、峠家は経営から離れている)。
一方、私が代表を務める名晃だが、こちらは岐阜県安八郡にあり、大和エネルフとは営業エリアが異なる。設立は1981(昭和56)年。夫の友人がこの安八郡に住んでいたことで「ゴミの仕事をやらないか」と夫が持ちかけたようだ。その人は安易に引き受けてしまったが、自分ではやりきれなかったらしい。「清ちゃん、できないわ」と途中で断ってきた。それで夫が「おまえに任せる」と私に託したのが始まりである
